ディレクション

一杯のコーヒーもディレクション
どこにでもあるものを特別なものにする
"ベンチャキャピタルからの出資を受け、会社を退社して社長になって、心底怖いと思った"
社長なんてやるものじゃない。

作品を撮る
30年、35年分リハビリをします
"悲しいほど自分の感性は奥に奥にしまい込まれています"
私は悲しいほどに人間嫌いです。だから話をすることも、他人の生き方にふれるような深い内容の会話も苦手です。
だから内面から湧き出すような感覚を捉えるなんてできるはずがないのです。四角いものを四角く撮る、丸いものを丸く撮るしか経験がないのかもしれません。
ライフィングは、フレーミングは、セオリーは経験分の技術があります。きっと活かすことはできます。だから表面的には撮れるのでしょう。しかし、これでは意味がありません。だって私の感覚、感性はどこにもないのですから。
あまりに失礼な考えかも知れません。目指しているのはニューヨーク近代美術館に自分の作品が収蔵され、次の世代に残すことです。笑えるほど無謀な望み。ただね、望みは口に出さないと実現しないと思うのであえて書き残すのです。

作品展が観たい
人と話をするのが苦手は行動を制限します
"ぽつんと一人で鑑賞したいのです"
写真展、東京だろうが、大阪だろうが行きたいのです。ただし、一人でじっくり鑑賞していたい。なんだか人と話をすると写真よりも話に取られるエネルギーが大きすぎて入り込めないのです。
撮影者が撮ったときの事を語るとかもだめなのです。それだけで作品がどんどんと薄くなっていくような錯覚に陥るのです。言葉と映像は反対にいます。言葉で説明をされると気持ちが離れていくのです。